あきらめると出てくる

 昨年末に毎週スクラップしていた漫画雑誌の一部が行方不明になった。

 絶対に捨ててないはずなのに、どこを探しても見つからない。最終回は九月に札幌に持っていったはずなのに。

 と言うことで一ヶ月くらい悶々としていたが、もういいやと諦めた。

 きっと来年(つまり今年)出てくるだろうけどって妙な確信はあったのだけど。それもどうでもよくなった。

 

 固執や執着がなくなると、なんだか肩の荷が降りたようスッキリ感した。

 

 案の定、さっき一月二日に思わぬところから、発見!けっこうこういうことってありますよね。

 

 あきらめるとその要求が実現する。

 そしていつの間にかないのが当たり前になっていく。

 

 日本語はオシャレで好きですが「踏ん切る」とは、なるほどなと思う。

 自分の体量で踏んばり、縁に裂け目を入れるのだ。

 全て捨てると、なんだか知らなかった自分の力が出てくるのが面白くて、昨年は散々、壁に寄りかかって、体量全てを壁に預けると言う稽古をした。

 もちろん壁に特別な力があったのではなく、自分がすでに持っている力に気づかなかっただけだ。

 

 執着や妄想は頭から飛び出し身体全体にこんがらがっている。

 どうにも息苦しくなったら、見えない観念の糸で身動きできなくなっている自分をあきらめる。

 

 僕らはまだまだ自分を使い切ってない。

 

 むかしむかしは重要だったが二度と使わない(おそらく見ない)ものを後生大事に持っていたが、今年はドンドン捨ててしまおう。

 じゃないと新しい出会いも気づきも生まれないような気がしてきた。

 

 本年もよろしくお願いいたします。

 

Sosuke.Imaeda 2025/1/2