ひとりという身体感覚

 9月30日と10月1日、札幌で動法稽古会を実施した。

 

 二日間で延べ11時間20分という長丁場。

 これまで何年も続けてきたのだが、いつも始まる前は不安で、今回は何をやろうかと細かく考えている。

 特に今回は体調も思わしくなかったので、より不安は大きかった。

 でもいざ、稽古が始まると自然に流れていく。

 参加していただく皆さんに、どう受け取っていただけたか、身体教育研究所の整体というものを伝えられたか、終わった後はいつも反省する。

 おそらくこの稽古会がなければ、私は講師となる技術研究員の資格を得られなかっただろうし、自身の稽古場を持つこともなかったと思う。

 北海道はかけがえのない地となった。

 北海道は広い。わざわざ遠方から仕事をやりくりし参加していただく皆さんには心から感謝している。

 

 今回のテーマは「人に寄りかからない」だった。

 体はもちろん、心も寄りかからない、独自性を突き抜け、共有性まで到達する「ひとりという身体感覚」

 寄りかからないからこそ見えてくるものがある。

 実現するものがある。

 それは協働制を否定しているのではない。むしろ協働制を確立するためのものだ。独立した分子だからこそ、弱さを補い、人は助け合い、手を取り合って生きていく。そして、その場、その場の迷いのない充実感が皆に生まれる。

 

 過去にも、未来にも寄りかからない。

 未来に期待する心に囚われすぎれば、いまの充足感を見失ってしまう。

 目標を設定するものよいが、いまこの時の呼吸を感じよう。

 

 掌の指を開いて、水を汲めば、水は流れ落ちてしまう、でも、その何もない指の間から流れ落ちる水は新しい心持ちを生むきっかけともなる。

 確実に日常は過ぎ、人は老いていくけれども、いろいろなものを失っていくと感じるけれども、鳩尾にスッと風が通るような、清浄な水が流れ落ちるような、そんな身体を感じれば、明日のことを考えて、精神に囚われてしまった縮こまった自分を見つけることができるだろう。

 

 身体はいまを感じている。そして、未来や過去を考えすぎる私たちはそれを見失っている。

 

2024/10/3 Sosuke.Imaeda