稽古人は佇んでいる。
一人道場で静かに座っていると、窓から差し込む光、ヒーターの生暖かい暖気、床の畳目が明確にわかる。
やがて外の植物、道路、空まで明確に感じられる。
それはまるで一枚の絵画のように彼を俯瞰している。
はたと気づく。
その完成されつつある絵画に自分の匂いがないことを。
いや、冷静に深掘りしていくと、銅像のような自身が実感なく椅子に座っている。
はたと気づく。
自分の匂いは自分から剥がされ、外を漂っているのだ。
はじめて彼はある集注に気づく。
手を伸ばしても掴めない、でもたしかに存在する集注という空気感。
環境と化身であるかのような銅像。二つが対になって内観という空気体が生まれているのだ。
今年で駒込稽古場は五年目になります。稽古場は年月を経て、それに相応しい空気をつくっていくものと師から指導を受けております。
稽古場に来られたら、日頃できなかったことができてしまう。はじめての方も自身の違った身体と出会えてしまう。
それはご自宅では得られない経験。
そんな稽古場を目指しこれからも精進していく覚悟です。
2025/1/19 Sosuke.Imaeda