ご自身で感じられてない緊張は身体に如実に身体感覚として現れています。やがてそれは累積して定着していくと思います。それを司っているのも身体感覚だと思います。
先日も操法中にお話しされている方から、ある方のお名前がでた途端に腰椎が捻れていく感覚が発生しました。お名前が出ると同時にです。
ご本人は特に意識はされてはいません。でも身体はわかっているのです。
こういうことを何度か経験していくと、言葉にするということの意味が、情報を伝えることだけではないということを実感します。
なんのことはない会話の中でも、そのお名前を発すれば、常に身体はある種の緊張感覚を発生し、蓄積していくのです。
また、名前というのは一例です。汚い言葉遣いや荒っぽい言葉を発すれば自然と身体はそのようになっていくのでしょうし、丁寧な言葉や思いやりのある言葉を使えば、自然に身体は安らいでいくのでしょう。
日常の何気ない会話でも、一つひとつの言葉を発することにもっと注意を向け真剣に向き合っていきたいものです。
先日、久しぶりに「万葉集」を音読してみました。
意味を理解するのではなく、五感を研ぎ澄まし、音とともに和歌の情景に身を置く事によって。タイムスリップできるということを改めて感じ、和歌の作者と寄り添う楽しみを味わいました。
自室にいながらして、自身の身は万葉の世界にいたのです。
文化というものは素晴らしいものですね。自分の知らない先祖たちの哀しみや喜びを追体験できるのですから。
2025/4/17 Sosuke.Imaeda