識者寄稿<理学療法と整体>

 稽古場に通う目的は人それぞれだと思うが、だいたい日常生活に染み込ませようとしている人と、仕事上の実利を求める人のどちらかに分かれるように思う。

 

 私は完全に後者である。

 私は小児理学療法士として患児らへの医療サービスを生業としているが、その中には、自分の意思や感情を伝えられない子どもたちがいる。

 仕事を始めしばらくしてから、身体障害のため身体がどんどん硬くなっている担当患児に理学療法を行っている時、患児らがどう感じているのか、どうしても知りたくなった。

 それを知らなければその先に進めないと思い込むようになってしまった。

 

 今枝氏は、他人に生じた感覚が、自分の感覚へも作用することをテーマに、ユニークな稽古を開いている。

 このテーマは、私の臨床で生じた疑念に対する答えになると直感している。

 まだ解決していないしその目処も立っていないが、少なくとも今は、そのことが他人の感覚を知る一つの拠り所になっている。

 

令和6年4月12日 理学療法士 宮本清隆

 

【今枝追記】

  これまでの人生「意に反して」

 何が原因かわからないままに疎遠になってしまった人も多い。

 一方、知らず知らずのうちに意気投合してしまう人もいる。

 

 身体感覚というのは一人の感覚というのはあり得ないように思う。

 常に複数の感覚を身体は感覚している。

 感覚は同調することもあれば、反発することもある。

「意に反して」という出来事。

 稽古を進めれば進めるほど、いまこの手のうちにある感覚が「自分の意」なのか、過ぎ去っていく感覚が立ち寄ってくれただけなのか、ほとんどわからなくなる。

 そんな時自分は、自我の重さから解放されたように自由になる。

 

 操法の後、言葉にはならない感覚が滞在する。

 相手の中にも、その場にも、もちろん私の中にも。

 

 

 宮本先生と稽古をしているのは、無論巷のコミュニケーション論とか技術ではありません。個としても、集団としても、「意とは別に」生きている中で頻繁に行われている集注模様の体験なのです。それなしには、私たちは存在し得ないと思います。

 

 宮本先生には色々教えていただくことも多く、その視野の広さ、体験に基づく造詣の深さにいつも感服しております。毎回の稽古は多くの気づきがありとても新鮮でエキサイティングです。ご寄稿ありがとうございました。

 

2024/4/14 Sosuke.Imaeda